場外乱闘、もあり。

50代中小企業崖っぷちのオヤジです。2015年体調を崩し長期入院。カラダもギリギリ。土俵際、俵に足の親指1本からの逆転を目指します!!

墓友ビジネス

家族形態の変化で,もはや従来の墓制度が維持できない方々が増えていることが昨今よく話題にあがる。うん、わかります。ウチも将来的にはそうなるだろう、娘2人だし、弟は今独りだし、とそう遠くない我が家の未来に思いを馳せるが憂鬱になるのでなんとかなるだろうと思考にフタをする。そして何気なくTVを眺めていたら、自分がいなくなった後、墓の維持を子供に託すのは負担だと思った方が墓じまいをするというので取材を受けていた。

 

墓じまいなあ、まあそういう選択もあるだろうが、自分が今こうして人類史上最も豊かな(あくまで物質的にだが)時代を日本という安全地帯で享受できるのもご先祖様からの命のリレーがあったから、その経脈の墓標が消え去る、というのもなんとなく相手に渡す目前でバトンを落としたようでやりきれない。

 

でまたTVに戻るとそこそこのお歳の女性が7~8人のグループで食事を作り、召し上がっている様子が映し出された。女性たちは元々知らないモノ同士、自分が亡くなっら樹木葬を希望する者の集まりで知り合った墓友らしい。樹木葬を企画運営する業者がこういう施設も用意されているようです。うまいですね、しっかりとつながりを演出されています。

 

主人のお墓には入りたくない、この世だけの付き合いにしておきたい、死後は自由になりたい、なるほど色々ありますね。どこもかしこも💕の夫婦ではありません。

 

でも、こういうの死後を美化してしまっていませんか?現状がイマイチだから、こういう思考になるのでしょうか。生まれる前の記憶がないのと同じで死後なんてなにもありません。肉体が生命としての命を終えたらそれで終わりではないでしょうか。生きている今の心象風景が美しい死後を妄想させるのではないでしょうか。地獄も天国もそれがあった方が都合がいい人々がいたのです。

 

30年ほど前あれほどTVや雑誌を賑わせた雪男もネッシーもUFOもスプーン曲げも結局は作りモノであったように。

 

で、我が家がどうするか、そうですね。まだ地方の檀家制度の残るど田舎に墓があるだけに、私の最後が近くなったら、まあ100万ぐらい住職に渡して、好きなだけ好きな期間とりあえず供養してくれ、あとはもう任せる、とお願いするつもりです。

 

そういえば10年ほど前に流行ったペットの葬儀で、主催の悪徳業者が、責任を持って亡骸は丁重に供養いたします、とか言っておきながら、山中に犬、猫の死体を捨てまくっていた、というニュースが鮮明に残っているが、死人に口無しとばかりに即墓をバラされて石屋に転売なんてことにならないことを祈りたい。^^:

 

海に散骨とか高台の桜の樹の下に眠るとか言っても、死んだら確認しようないから。それより生きているこの瞬間を楽しみたいモノです。