場外乱闘、もあり。

50代中小企業崖っぷちのオヤジです。2015年体調を崩し長期入院。カラダもギリギリ。土俵際、俵に足の親指1本からの逆転を目指します!!

“まさか”を乗り越える

言ってしまおうかどうか迷いました、が、その躊躇自体に少ない脳みそが支配され、その方の話が入ってきません。この状況に気がついたので、一息ついたところで口にしました。
『あの、会長、あの鼻毛が出ています、すぐに手入れした方がいいとおもいます…』

『ああああ、そう、じゃ、後でそうしよう…』力なくはみ出た白いそれの付近にこそっと手をやりながら会長はつぶやきました。『朝鏡見たけど気づかなかった….ありがとう』
ーよかった、しかし周りの人が言ってあげればいいのにー

 

奥様に先立たれ、今は大きな屋敷で一人暮らし。完全に経営権も外れこれからは楽隠居のはずだったお得先の会長、ところがそのタイミングで人生の“まさか”に遭遇されました。辛苦を共にされた奥さんの急死です。現在は毎日お手伝いさんが世話にきているようですが、それでもメンタルの萎えと高年齢が身の回りのことをおざなりにしてしまいます。これは誰にでも起こりうります。例えば体臭、目ヤニ、足を引きずって歩く、猫背、いびき、これらは自分では気づきません。言ってくれる人がいるというのは幸せなことなのだとおもいました。叱ってくれる人、言いにくいことも言ってくれる人、これは自分に関心を持っていてくれるということ。“いつもあなたをみていますよ”

ふさぎ込むことだけは避けるほうに持っていかなくては、そこは思い切って言ってみました「会長、庭の木の剪定、ご自分でなさってください!ぜひ、あまり高い部分は避けて、できる範囲だけでも私も手伝います、職人のようにいかないのはわかっています、結果が多少カッコ悪くなってもいいじゃないですか」

 

うろ覚えですが以前、庭の樹木の剪定代が年間100万かかっていると聞いたことを思い出したのです。それと、どうもこのところ気持ちの濃淡が薄くなっているような…作業という行動でカラダに負担をかけることによって淀んだ気持ちをシャッフルすることができれば、と思ったのです。クソ暑いですが。^^;

道具があることはわかっているので、善は急げで早速取りかかりました。『この次に…しよう』と会長の口が動く前に。

 

剪定自体は楽しいが…….

樹木の剪定作業自体は、何度も体験しています。人のアタマに好き放題ハサミを入れるかのようなイメージで、コレはこれで楽しいのです。問題は、そのあとです。散々散らばった木の枝や葉の回収作業です。これ、感覚としては剪定に要した作業量の倍以上の量の枝木が重なり散らばっているのが常です。一般的な箒では柔らかすぎてうまくかき集められません。やはり熊手が必要です。適材適所、道具ってうまく分業ができています。それと樹木の枝は細かく切り重ねないと指定のゴミ袋に入りません。さらに枝が袋をつき破り、そこから穴が広がるので注意が必要です。

この作業が剪定作業の3倍ほどかかってしまい腰が悲鳴をあげはじめました。結局、指定のゴミ袋が底をついたことを理由に今回は打ち切りました。大型ゴミ袋16袋…….これで敷地の1/4足らずか……デカイ家は大変です。それでも、汗をしたたられている会長の生気が戻ってきたような顔を見ていると、ムチャ振りだったけどやってよかったな、というおもいで私も満たされました。

汗だくのおっさんとジジイが放心している足元をさらっていく風に、どことなく秋の匂いを感じました。


後日談…後の剪定は業者に頼まれたらしいです^^;


固定資産税、いくら払っているのだろうか…細胞の100%が庶民の私は、またもいらぬ心配をしてしまいます。

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