誰があいみょん をつくったのか?
独断と偏見でこう思う
その礎を置いたのはお父さんだろう。
知人に見せて貰った「バンドスコア あいみょん セレクション」
の表表紙を開いた1ページがあいみょん 本人の言葉で埋められている。
初っ端2行だけ要約する。
「ギターなんか独学でやるもんや」
14才の私がギター教室に通いたい、とお父ちゃんに告げたとき言われた言葉です、とある。
私なら喜んで通わせただろう、娘が同じ趣味に興味を持ってくれた。これは嬉しい💕
でも、あいみょん のお父さんは違った。「ギターなんか独学でやるもんや」
突き放した。なかなかできないことだ。子供を持つ親なら猿でもわかる。
娘の性格の良いところその逆、強み、弱みお父さんは全て把握していたのかもしれない。
この言葉を体験的に知っておられたのかもしれない。
「自覚に勝る教育はない」
だからライオンの親のように子を突き放した。
14歳のとき(?もし違っていたらご指摘くだせえ)
帰国する米国人の英語教師から貰ったアコギを鳴らし始めた。
この瞬間、あいみょん という独自性と中毒性に溢れる楽曲♫を惜しみなく提供し
JKから「結婚して~~!!」と絶唱されるほどに愛されるクリエイターが誕生した。
まずは簡単なコード表を眺め指に音とカタチを覚え込ませる。
頻出する基本コードをルーツとして音を出してギターを弄っているうちに発見がある。
おっ、3弦のこの音と2弦のこの音同じやん!!
この中指1フレットズラしたら、コード音自体が暗くなるやん、指板の世界を
指と耳でモノにしていく。
こういう過程を飽きることなく追える子や、きっとお父さんは
そう見通していたのだろう。
ギター教室のテキストからという受け身でなく、能動的に手探りで心地いい響き,
繋がりの良い音を探しにいく。貪欲に。不協和音一歩手前の音もハマる箇所に置くと
良いアクセントになるやん。
音感のよさ、天性のシックスセンスが両輪となってアタマに中にイメージが
拡がりやがてそれらは人の心の芯を揺さぶるオリジナルに着地する。
「最も個人的なことが最も創造的だ。」誰の言葉だったか忘れた。^^;
確かなのは自ら殻を破ったこと。
コレって、1930~50年代のブルース、 jazzミュージシャンが
楽器をモノにしていった過程と似ている。
当時って理論なんてないから。
youtobe? ウォークマン?ビデオ?
カセットテープレコーダ? 無い無い。
かろうじてレコードプレイヤーがあるだけ。
jazzギターの神さま ウェス・モンゴメリー 楽譜 読めない。
コードは誰かに教えて貰ったみたいだが、それ以外は
先人チャーリークリスチャンのレコードを毎日飽きるほど聴き、細胞にしみ込ませ
コピーに勤しみ,自分で音を探すだけ、それしか術がなかった。
あいみょん はこういう偉大な先人達と似た方法でギターをカラダの一部にしていった。
敷かれたレールの上を走ってきていない。
だから、あいみょん ってパターン化していない。
ハードにしろソフトにしろモノを創り出す者にとってこれは驚異だ。
その音♫に触れる人たちは予測不能の攻撃で感嘆符❗️を連発せざるを得ない。
「From 四階の角部屋」とか。
あと、多読家の片鱗を感じずにはえない語彙の豊富さ、
それら言葉のピースたちが居心地よくおさまる箇所を見透かすセンス。
平成の最後を飾る名曲「マリーゴールド」このフレーズにひっくり返った。
“でんぐり返しの日々~” だ。これからストーリが展開する2コーラス目のアタマに
これもってこられたら、もう惚れるしかない。💕
向田邦子さんばりの言葉センスを育んだものは他でもない読書に違いない。
お父さんの器の巨大さと目利き力&本人の潜在的なシックスセンスの
感度のよさ、
おお~い ここまで追ってきて、大きな忘れものをしていることに気づいた。
お母さん!!!!!!だ。
貴女がこの平成のカリスマを産み落としてくれなければ、私たちファンは
今までとそう代わり映えのない日常を送っていたことでしょう。
もうずいぶん前、イチローがシアトルマリナーズに入団が決まったとき
日本からのTVインタビューで地元のファンが叫んだ言葉が忘れられない。
「神は我々にイチローを与えたもうたぁ~!!!」
その言葉を借り、アレンジしてこう締め括りたい。
お父さん、お母さん、神さま、本人の中のsomething
あいみょん を我々にありがとう💕
あえて忘れてはならないこの日に......