向田邦子さんの16:00
ノーベル文学賞 カズオ・イシグロ…本屋さんでよく見かけますが手に取ったことはありません。一度だけチラ見しましたが執事がどうのこうの….とかの文字を記憶している程度です。
日が暮れるのが日ごとに早まってきています。週初め若いヤツを連れて顧客を訪問しました。16:00アポの予定がミーテイングが長引きそうとのことで少し待たされました。ビル街の隙間を縫って長く伸びた陽がフロント前のウェイテングスペースに届きます。ロビーのガラス越しに見える通りを近辺のビジネスマンらしきグループが先を急ぐように歩き去っていきます。こうしているとまだ駆け出しの営業マンだったころにも同じようなシーンがあったことを思い出しました。あの時は私が今隣にいる若いヤツと同じくらいの年齢で、上司は今の私より若干年上でした。かってのそのときと同じような場面の展開になんだか不思議な気分のまま隣でメールをチェックしている若いモンに聞いてみました。
「午後4時って昼か夜かどちらだと思う?」脈略のない質問にスマホの画面から上げた顔には❓マークが見て取れました。
『はあ?、う~ん夏なら昼で今時から冬は夜ですかね』
「ピンポン!(←死語?^^;.)正解…というのか、そんな感じかな」
『でも、今時の午後4時くらいになるとなんとなくもう帰りたくなりますね~夏だと真昼間なのに』
そうそうあのときの自分もそう感じたのです。特にその頃は北陸地方に出張でよく伺っていました。
日本海側の晩秋の夕暮れって取り残されたような寂しさの境地なのです。まだ若かった私でさえもなんともいえない人恋しさに襲われ、誰でもいいから話しかけたくなったのを覚えています。
それからというもの、晩秋から冬にかけての時刻にして16:00から17:00頃までのウラさみしい感情をビシッと表現できないものかと色々模索しておりました。お酒の席でもそういう話題を振ったりしておりました。
“だから、人恋しい~”のではないの?”
「イヤイヤだからその心模様を気の利いた比喩でうまいこと表現したモノないかな、ママ(このヒト、わかっとらんな…)」当時、荒川区西日暮里にあった独身寮の裏の寂れたスナックで土曜の夜はそういう会話が繰り広げられていたことが懐かしいです。
そうこうするうちに営業の配置替えがあり北陸担当から外れてしまい、なんとなく日常に埋没していきました。そんなあるとき大阪出張を兼ねて実家に帰省した折のことです。自宅のリビングのテーブルに置かれた1冊の本に目がいきました。「ほ〜向田邦子、飛行機事故で亡くなった人やな」それは1冊のシナリオ集でした。向田邦子のドラマ好きの母が買ってきたものでしょう。寝転がってパラパラめくっているうちに、えええええええええ!!!思わず正座しそうな勢いで起き上がってしまいました。視線が金縛りにでもあったように凍りついてしまいました。 「これやん、スゲェ〜、へえ〜」
♬〜探しものをやめたとき、見つかることもよくある話しで〜♬
まさに晩秋の夕闇が駆け足で忍び寄る時刻の心情の表現、こうありました。
『夕暮時というのが嫌いだった。昼間の虚勢と夜の居直りのちょうどまん中で妙に人を弱気にさせる〜(以下省略)』【向田邦子「冬の運動会」新潮文庫より引用】
「昼間の虚勢と夜の居直りのちょうどまん中で…………」セリフを覚えの悪い大根役者のように何十回も繰り返しました。ママ、これなんですよ、村上春樹どころの騒ぎじゃないって!!
それから人生初の特定作家の全集とやらを買い揃えるまでに時間はかかりませんでした。
10日ほど前新聞広告に「オール讀物10月号」の広告が掲載されておりました。なんと向田邦子さん特集!!
この方不慮の事故で亡くなられて30年以上経つのにこうして特集が組まれたり、リスペクトする業界人が絶えないって、中々こういう作家っていないのではないでしょうか。
商談が始まる前に若いモンにそっと言いました。
「今時のこの時間帯のアポはやめよう、弱気になる…」