たんこぶも見方変えればチカラこぶ(季語なし^^;)
友人Hはオヤジの会社の跡取りである。現社長であるHのオヤジが創業者であり現在は社員数50人ほどのよくある中小製造業企業、早い話が町工場である。Hはそこそこ名の通った商社で10年ほど俗にいう他人の釜の飯食い30歳台半ばでオヤジの会社に入った。当然後継者なので社員も銀行筋も取引先もそういう目でみる。これは当然である。現場も営業も一通り体験し営業部長、取締役とトントン拍子に駆け上がり数年前に専務になった。そして50歳を直ぎそろそろ交代かと思わせながらもう5年が経過。もう四捨五入すると60歳になろうかというのにオヤジは譲ろうとしない。そんなにしがみつきたいのか。私たちはそうそう推測しているが、どうも違うようだ。
Hにとって目の上のたんこぶのような存在がいる。オヤジ、社長の右腕と呼ばれてきた、肩書きは常務のSである。一応肩書き的には専務の方が上なのだが、どうもSの方が皮膚感覚的にはオヤジに近いようなニュアンスを感じさせている。厳しい時にオヤジと辛苦を共にしてきただけに同志のような結びつきらしい。このS、社長から息子であるHの教育係も仰せつかっているようで、事あるごとにHに小言をいう。Hにとってはこれがうっとしいく数度やりあった事もあるようだ。
他所の筋から聞いた話だが、社長であるオヤジは、HがこのSを目の上のたんこぶとみている間は、息子の年齢や世間の噂に全く頓着せずトップの座を譲る気持ちはないらしい。自分を叱ってくれる人がどれほど大切かということがわからないうちは、規模の大小は関係なく人の上に立つ資格は無いとみているらしい。やはり人間にとって慢心というのが最も恐れなければならない心に巣食う悪魔とのことである。
目の上のたんこぶ、実は頼れるチカラこぶ、そういう見方が上に立つ人には必要不可欠らしい。できたオヤジだなあ、息子の好き補題、自由にやらせるためにうるさ方を排除する同族企業とは雲泥の差です。人間何歳になっても自分を戒めてくれる人は必要ということをしっかりと学びました。自戒の念を込めて。