場外乱闘、もあり。

50代中小企業崖っぷちのオヤジです。2015年体調を崩し長期入院。カラダもギリギリ。土俵際、俵に足の親指1本からの逆転を目指します!!

大嫌いなKさんが好き!!

所属は異なるが業務上関連性の強い部署にいるKさんに強い嫌悪感を抱いています。もともとKさんの方から私を排除、無視するような圧力を感じたからです。私が近づくとわざとらしく大きな音を立て、クソ忙しそうに立ち振る舞う、話しかけても聞いているのかいないのか曖昧な態度、返事はワザと声を落とし聞きにくくしてくる。そもそも当初から目も合わせてくれません。

 

血気盛んな年かさの頃から、「なんだ、お前、オレになんか文句あるなら、言ってみろよ!!このボケ!」となるのでしょうが、私もそれなりの歳ですし,ずっ~と営業畑です、嫌な客や数々のクレーマを手なづけたり、やりあってきた気概があります。ですのでなんとか上手くやっていこうという気ではいるのですが…….

 

そもそも何がKさんを怒らせて(?)いるのか見当がつかないのです。気づかないところでKさんの気に食わないコトをしでかしているのかも知れませんが、私には思いつくふしは全くありません。

 

冒頭にこういうKさんに対し嫌悪感を抱くと書きました。あまりにもそういう態度を繰り返し取られるとどんな人間も反発しあうものだと思うのです。

 

でも、最近こう分析するようになったのです。私のKさんに対する嫌悪感の根源は何か?

それはズバリ、〝不快〟という感情なのです。快くない、というコトです。赤ちゃんの判断基準は〝快か不快〟だけです。というコトはいくら年かさを重ねようが経験を積もうが判断のルーツ自体は生まれたばかりの赤ちゃんとなんら変わらないというコトです。

 

ここまで単なる気持ちをもうひと掘り深められたのも、ブログをやっていたからだと自負しています。自然と観察力が培われるますね。そういう素材に自らなっていただいたKさん、ありがとう!!! これからも引き続き私は柔らかな態度で接するけど、貴方はそのまま無愛想で、ワザとらしく大きな音立でキーボード叩きまくって血圧上げてね。面白いから。

 

あっ、くれぐれも私からの態度は優しいけど貴方と費やす時間や思考がもったいないから最低限の接触にしておくね、これからもよろしく、アッKさん、もしブログされてるのなら私のことぜひ書いてくださいね。

なぜ、よくない噂ほどよ~く伝わるのか。

 

トランペットは始めて4ヶ月、なんとか音階らしきモノが出せるようになりました♬。まだ曲♬にはなっていなくともこの音が出るというのががまた楽しくて仕方がありません。たま~に出るいい音♬、なんかこう哀愁があるのですよ~トランペットって。だが現実は相変わらず練習場所には苦労しております。マンション住まいのため家族がいない時を選んでミュートをつけて細々と音を出しております、情けない。しかし、私以外の家族が揃って出計らうという時に私が自宅にいるというタイミングが合うときは週に1時間もなく、やはりスタジオに頼りざるを得ません。月2回のレッスンにも使っているスタジオが1時間324円と格安なのがまだしも救いです。

 

なんだかんだ四苦八苦しながらもラッパを楽しんでいてふと気づくことあリます。よく言われるのが

トランペットってそもそも音を出すこと自体が難しい、と言うこと「私も中学時代に吹奏楽部でチャレンジしたのですが、もうホント音が出ないのですよね、ヤメちゃいました。」とか。これ多いです。

「トランペットねえ~音出ないって聞きますよね~サックスならなんとかなるみたいで、私もやるならサックスかな」これがある程度お歳を重ねた方々の自分ができなかったことの悔しさの感情も入り混じっているのならわかります。ところが昨今の若い方々まで同じことを言うのには驚きました。先日も上記した格安スタジオJでの話、私がトランペットのレッスンを終えてフロントで支払いを済ませているときです。顔なじみの学生女性ドラマーが私の持つトランペットのケースをチラ見しながら「トランペットですよねー音でないってよく聞きますね~それでみんな諦めるとか、やはりそうですか」

(ほっとけよ!!俺は頑張っているのだから)

 

いや~もう「音出ない」「音出にくい」「難しい~」これの連呼なのです。確かに誰かが言っていたようにサックス🎷に比べると音そのものは出にくいのかも知れません、知らんけど。しかし、どんな楽器♬もそう簡単にはモノにはできないでしょう。なぜトランペットだけが難攻不落のような楽器のように言われるのか。

 

ネガティブの方が言いやすいのでしょうね。自分ができなかったことを他人がサッとできた場合の予防線のようなもので、難しい、まず音が出ない!!だから貴方も諦めた方がいいよ。他人の不幸は蜜の味の変形版のような……….

 

まあ流行りモノが好きでない私にとっては好都合です。コソッと楽しみます。あっ、私が付いている先生、トランペットの生徒は私と女子吹奏楽部の女子だけです。ここはちょっとかわいそうですが。

 

そうそう思わぬ効用を、完璧な腹式呼吸を余儀なくされるので吹いたあとは至極気持ちいいです。カラダの中がお掃除できたイメージです。たとえ1日10分でも毎日練習したくなります。深い呼吸って絶対、身体&メンタルにいい影響を及ぼすものと信じております。こういういいコトなぜあまり拡散しないのだろうなあ。

金の活力とは。

なるほど、金の活力か………そういえばと頭に浮かぶ身近な経営者を思い浮かべてみる。う~ん、やはりその通りだ。例えばN社。ある意味ちょっとエグいほどの商いを実行し、とにかく社内留保を積み上げる、ただ自社の懐に寝かしておくだけではない。ここからがN社の真骨頂、そのタマをを練りに練った事業のために投資する。その事業、それがまたオリジナル、業界初ということがほとんどである。他のトップなら尻込みするほどのこともバ~ンと決断する。結局誰も足を踏み出したことのない地への投資なのでライバルがいない。その分自ら切り開いていく胆力が求められるがそこは優秀な取り巻きが開墾していく。私欲はない、とか。トップが派閥だのイエスマンが大嫌い、そういう匂いを感じたら即自浄力が働く。(ここが他がマネできないところ)もちろん全てがうまく運ぶことはないのが世の常。アブないこともあったとも聞く。だがそれを踏み台にして教訓として仕切り直す。(このシステムもオリジナルらしい)しくじった分ノウハウがあるので同じ轍は踏むことなく新しい景色を見る。

 

結果、上手くいった分の一部をエグい商いで搾取(?)されたウチのような弱小軍団に分け与えてくれるのだ、1,5~時には2倍にして。こりゃ上納金差し出しますって。^^; また自ら掘ったフロンティアで得た利益の一部を社会貢献に回している。とにかくカネを廻す、旅をさせる。雪だるまのごとく玉が大きくなっていく、成長する過程には目には見えない「徳」にうっすらと覆われているのかもしれない。

 

 かたやH社。搾り出すだけ搾り取る、投資も石橋を叩きすぎて石橋を破壊してしまうほど慎重を期す。そのため未来がすでに過ぎ去り、投資の機会はN社のような決断力の早いところにやられてしまう。乏しいスピード感、加えて人の情を汲み取る能力の欠如。よってオーナーの資産をいかに目減りさせないかというセコい思考でいっぱいいっぱい、となる。数字が伴わないのは全て社員のせい。金は守られているが、増殖していこうといった活力が育つはずがない。一箇所にとどまる水のように減りはせずとも澱んでいくだけ。

 

わかっていてもリスクを取れず、守りに入ってしまうのがヒトの性、N社トップの精神的支柱の根源を知りたい、メンターは誰か、どういう本を読んでいるのか。

 

まずはマネしてみることから始めてみよう、この春微々たるモノだが少しのタマを旅に出してみるか…そして「徳」これが問題なのだが。しかしこういう追求って楽しい。

 

カネも筋肉と同じで使わないと活力が衰えるのだ。

「酒場で現金は見せるな…」(by 映画『グリーンブック』)

 

本日観た「グリーンブック」のストーリー後半でのセリフです。

 

しっかり実行してます。

仕事で出張で出かけるとします、夜食事に出かける時、財布は持っていきません。紙幣1枚だけです。一人で出かけるお店が決まっている場合で余裕見て5000円札一枚だけです。まあ大体一人だとやおい軒とかが多いので1000円でこと足りるのですが。

 

以前出かけた先でお得意先の方と飲みに出かけ財布ごと落とし(忘れ?)痛い目にあったことがあるからです。いつもと異なる場所だと何かこう勝手が違っている上にアルコールが入るので何もかもが自分の範疇でないのが原因なのかもしれません。

 

まあ映画では、酒場で札をみせたばっかりに後を待ち伏せされるのですが。

 

詳しいストーリーは、何人もの詳しい方々がブログで書かれているのでそちらを参照してください。

 

 しかし私が生まれた60年代初期にあの手の差別が公然と行われていたとは…TT

聴衆を酔わせる素敵な演奏で拍手と賞賛に包まれても、一歩ステージを降りれば豚小屋以下のトイレにレストランでは食事をできないなど、今では想像できない差別。実際に1956年あのナットキングコールが南部で公演中に舞台から引きずり降ろされ袋たたきにされたなどこの手の事実は枚挙にいとまがない。

抑圧の中からBlues♬が生まれ,それをより複雑にまた自由にしたJazz♬へと育まれるていくのだが、そのBluesを産んだ黒人である天才ピアニストシャーラーが演奏するのはどう聞いても、クラッシックをベースにしたモノ。バンド構成にしてもチェロがいたりして素晴らしい演奏なのだが、どうも北朝鮮の軍事パレードのごとく整然とし過ぎ感が。でも後ほどハジけます!!黒人専用酒場でのプレイ♬それはいつものスタインウェイ🎹じゃないけど見事にスイング♬

 

 

で、実話モノに弱いです、前もどこかで書いたけどエンドロールで本人のフォトが出てくると鼻の奥がツンとなるのは最近ではボヘミアン、少し前では似たようなコンビモノの「最強のふたり」と同様でした。

 


【公式】『グリーンブック』3.1(金)公開/本予告

弁護士さん、よろしく!!!

福岡での単身赴任から地元関西に戻ってきたのが2017年7月。帰ってきて直ぐに大阪の大動脈,中央環状線にて業務移動中の信号待ちの最中、後ろから1トントラックにノーブレーキで追突され、俗いうムチ打ち、社用車後部大破。そしてそれから1年余りまだまだ昨年の事故で負った首の治療中である2018年の11月通勤途中の県道にて後部から普通車に追突されました。まるで再現動画と同じように前回と同じ状況です、すなわち信号待ちにて停車中にての事故、私は1cmも動いていません。呪われているのか、私は!!

 

事故現場が偶然にも通っていた病院から車で10分ばかりの場所だっただけに、同じ病院に救急車で担ぎ込まれました。担当先生に驚いた顔が今も忘れられません。なんと1週間前の診察中に担当のS先生は、もちろん冗談ですが「亀の歩みですが回復傾向に向かっていますね、こういう時にまた同じように追突されたら話がややこしくなるのですよね、気をつけてくださいね」

S先生!!ご指摘どおり話がややこしくなってしまいました。まさに言霊、言葉に魂って宿るのですね!!気をつけてください、って言ったって停車していたのです。気をつけようがありません。

 

それからです、前回の事故と今回の事故、それぞれ相手の所属する保険会社の担当者から月1回のお見舞い&状況報告TELがかかってくるようになってくるようになったのは。初回事故の保険屋さんは、担当が女性であったためまだ対応がソフトでした「おカラダその後調子はいかがですか?」まあ、声の出し方からトーン、相手に寄り添うをイメージさせれる言葉の選び方等,完璧に訓練され,おまけにマニュアルに準じた感丸出しでしたが、まだ謙虚でした。

 

しかし、2回目の事故担当者の感じの悪いこと悪いこと、まだ若いのですが言葉の裏に「おいおい、早く治療終われよ!!だいたいこういうケースは半年で治療切り上げてもらうぞ!!、俺は忙しいのだ!! オマエのことなどどうでもいい、一件でも早く片付けたいのだ、全ては俺のノルマのためなんだよ!!」

もちろん言葉には出ませんが(当然!!)。

 

それぞれ月1回のカタチだけお見舞いTELが、本当に鬱陶しくなってきました。不思議なモノです。ほんの少しずつ経過は好転していても、彼らの声を聞くと事故当時のことが脳裏に映し出され不快感的な痛さがぶり返されるのです。苦痛です。ひと昔前,サラ金からの催促TELに苦しんだ人を存じておりますが、そろそろかかってくるのか〜と思う時の精神的ストレスは、まさに真綿で首をキリキリと締めつけられるかのようでしょうね.......。

 

そこで弁護士にお願いしました。私の保険には弁護士特約を付随させていないので費用はかかりますが、弁護士を入れることによって、こういうTELはかかってこなくなり、しっかりと治療に専念できます。もちろん保障も弁護士を入れないと,これだけかよ!!と言えるほどの手薄いモノとか。

 

そうはいかんぞ!!!!寒い日の首全体の鈍痛は薄まりこそすれ、元に戻ることはないでしょう。お仕事GOLFできないじゃないか!!!!

 

公道で1トン以上の鉄の塊を転がしているということの再確認と運転ミスは相手の日常生活に質の低下を招いてしまう、ということを自覚してもらうために、しっかりと保障はして貰います。

 

今後どういうことになるのか追々書いていきたいと思います。

 

血の流れを極めて資産を作った人

なりふり構わない会社の引き止めにも応じず60歳ジャストで会社を去られたお得先のFさん。このFさんから私が教わったことは「受け継ぐことの怖さと喜び」ということです。具体的には遺伝、血の流れの怖さと素晴らしさということです。具体的には、バカ(学校の勉強を含むあらゆる面)は引き継がれ必ずどこかでその片鱗を表す、手グセの悪さ、声の質や手先の器用さ、対人での気遣い、その他枚挙にいとまがありませんが、とにかく人の思考や行動は先祖から脈々と引き継がれていくということです。

確かに私好んで観るNHKの「ファミリーヒストリー」を振り返っても著名な役者さんって、そのご両親は一般の方であっても遡っていくと実はどこかでご芸能ごとに携わっていたご先祖さまがいたという役者さん、非常に多いのではないでしょうか。

 

Fさんはそこを極めてコツコツと投資し,残りの人生を余裕で楽しめるという資産を築かれました。でFさん何に投資したのか………………………馬です。馬!!! 競馬です。競馬で一山当てるってそういう方はゴマンとおられますが、ここまで緻密に計算に計算を重ね、仮説と検証を怠ることなく地道に活動された方って私の周りではFさんだけです。

 

そのFさん,競馬歴はなんと小学生低学年の頃からとか。当然お父さんの手ほどきがあったのでしょう。競馬場で観る疾走するサラブレッドの重なったひづめ音の迫力と勝つ馬を読む時の楽しさに魅せられたようです。レース当日におけるフィジカル面での馬の仕上がりだけでなく、枠が決まった後のそれぞれの性格推理(?私あまり詳しくありません)が楽しかったとか。

 

Fさんの自宅に招かれたことのある人に聞いたことがありますが、何が驚いたって小学生の頃から手書きでまとめられた競馬ノートと競馬新聞の切り抜き記事の山だったそうです。北朝鮮の軍事パレードのように整然と棚全面に並んでいた、とのこと。今やレース管理のアプリ等便利がツールをもってしてもやっぱり最後はここに戻ってきてしまうらしいです。

 

Fさんの流儀は、いわゆる大負けも大勝ちもしない(と言っても数回大穴の経験あり、地獄をみるような大負けは無し)まさにコツコツスタイルとのこと。生活も地味で通し、勝っても負けても一喜一憂せずコツコツと仮説を立て検証を積み立て自分だけのデーターブックを作り上げる。そういうことができる性質を引き継いだことが、Fさんにっての財産だと思います。

半世紀以上前に小学生の字で書かれた「馬の血統」ノート、ぜひ一度みてみたいものです。